三国
ここで複雑な解説を交えてまでして史実に正したとしても、それは劉岱というどうでもいい端役の身分が明らかになるのみで、大きな意味はありません。よりも劉岱を同一視してその転落した姿を描く方が、より物語として面白く、より規範として奥深くあるようと…
『襄陽耆旧記』 龐徳公は襄陽の人である。峴山の南、沔水のほとりに住まいして、一度も城内には入ったことがなかった。みずから田畑を耕し、夫婦はまるで賓客同士のように付き合った。休息するときは頭巾を正し、端坐して琴を弾いたり書を読んだりして楽しみ…
劉備が、三たび諸葛亮の草廬をおとなって隆中で初めて対面したことはよく知られている。 このとき諸葛亮は、荊州および益州を攻略して地歩を固め、呉の孫権と手をむすんで魏の曹操に対抗すべきと説いている。このことから、荊州を失陥して孫権と仲違いしたこ…
襄楷という人物の伝記が『後漢書』に立てられている。桓帝の時代に宦官が実権を握り、政治を混乱させたことについて、襄楷は宮殿にまいり諫状を叩きつけた。その内容にいわく、「かつて私は、琅邪の宮崇が于吉に授かった神書を献上したが、陛下は受けとって…