こりゃ、ほたえな

種々雑多なことを書き捨てていく予定です。UTF-8 対応と聞いて、はてなダイアリーからの移行を考えてますが、はてなブログはまだまだ完成までの道は遠いようです。

三国志時代のフェミニスト

『襄陽耆旧記』
龐徳公は襄陽の人である。峴山の南、沔水のほとりに住まいして、一度も城内には入ったことがなかった。みずから田畑を耕し、夫婦はまるで賓客同士のように付き合った。休息するときは頭巾を正し、端坐して琴を弾いたり書を読んだりして楽しみ、その様子を見てみると実におだやかであった。

http://www.project-imagine.org/search2.cgi?text=xiangyang1-5

「夫婦はまるで賓客同士のように付き合った。」

三国志の時代は、古代中国ですから、とうぜん男尊女卑の時代です。女性が男性の所有物のように扱われていたこの時代、龐徳公(ほうとくこう)という人は、男性を相手にするのと同じように妻と付き合いました。しかも「賓客」(ひんきゃく)扱いというわけですから、自分自身よりも大切に待遇したのです。妻のほうでもそんな龐徳公を大事に思い、おたがいに敬愛しあう仲だったということです。

龐徳公の弟子が司馬徽(しばき)、司馬徽の弟子が有名な諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)です。